サンシャイン!!を語り尽くせ!!

(注)本文は2016年12月31日に発行され、それを一部改正したものです。

 

まえがき 

まずは書くことにした経緯についてご説明いたします。大反響だったアニメ「ラブライブ!サンシャイン!!(以下サンシャイン!!)」。元々「ラブライブ!」が大好きなことと、私が静岡県出身ということもあり、舞台が沼津である本作品には少なからず親近感を覚えていました。そして放送が始まってみると、これまたドはまりしてしまいました。加えて「このプロジェクトを最初から応援することができるんだ」と思うと熱くなって、各話を最低でも三周はするほど、自分の中で「サンシャイン!!」の存在が大きくなっていきました。観終わった後は感想をSNSに投稿するようにまでに。一方で「サンシャイン!!」に傾注しすぎて他アニメへの関心が低まっていたのは否めないですが、それほどまでに突き動かされる、続きが気になるアニメでした。

 

ここまで熱中してしまうと、やはり語れる人が周りに欲しいと思うのが常。そんな中、一話放送当時から「サンシャイン!!」を応援している人が知り合いにいまして、それが第2章の対談の相手であり、本書執筆の後押しをしてくれた靄下氏(@Moyashiiiiiiii1)でした。彼とは「サンシャイン!!」が放映される少し前に知り合い、そこで意気投合して、実際に一緒に沼津まで聖地巡礼をするまでの仲になりました。勿論話す内容は「サンシャイン!!」について。最新話のここがよかった、あれがよかった、ラジオは、ニコ生は・・・そうやって話している内に、話の内容がより深く、考察じみていきました。元々考察等持論を展開するのが好きであった私は、どんどん靄下氏と議論を重ねていきました。その最中に出た「こういう話ができるのはリアルタイムで作品を観ている人のみの特権」という言葉がとても印象に残り、端的に言えばこの言葉が私に書いてみよう、本として出してみようと思わせたのでした。

一ファンとして本気で考え尽くした記録をご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目次

 

まえがき

第1章  各話振り返り

第2章  スペシャル対談with靄下

第3章  ラブライブ!サンシャイン!!が伝えたかったこと    

あとがき

 

 

 

 

 

 

 

第1章 各話振り返り

 この章では、各話ごとに感想と、気になった箇所を考察してみます。改めて観てみると、これまた引っかかるシーンが結構あるんですね。まるで「深読みしてくれ」と言わんばかりです。これはやりがいがあります!それではやっていきましょう!

 

 

第1話「輝きたい!!」

*あらすじ* これまで熱中できるものがなく燻っていた高海千歌は、旅先の秋葉原でμ`sの映像を目にする。感化された千歌は自らが通う浦の星女学院高校でスクールアイドル部を立ち上げることを決意する。しかし思った以上に部員は集まらず・・・そんな時、東京から桜内梨子が転校してきたことで物語が動き出す。「それが、すべての始まりだった!」

 

 全話通してなのですが、とにかく風景描写に力を入れているなという印象でした。キラキラと光る海、家と学校を繋ぐバス、みかんのなる木、目の前にでかでかと見え沈んでいく太陽等々、2話以降もこの風景描写は非常に多く見受けられます。東京とはこんなに環境が違うんだ、というのを制作側は見せたかったのかもしれません。

 それから、いきなり海に飛び込もうとする梨子や、最後に3人で急に歌いだすシーンを観た時は、「これぞラブライブ!」と思いました。やはりミュージカルの志向が強いところは受け継いでいくのかなと、この時はまだそのように予想していました。実際はもっと人間臭い、等身大の女の子たちの話なんですが。あとは、空のカモメを掴めない千歌が、劇場版で太陽をその手に掴んだ穂乃果と対比になっているなと感じました。やりたくてもやれず、どうして良いか分からない千歌と、一つの答えを導き出し、そこに迷いなく一直線に駆け抜けた穂乃果という構図が、まだ始まってすらいないAqoursと偉大なスクールアイドルの頂点であるμ`sをも表している気がしました。だからこそ「START:DASH!! 」が余計に沁みたんじゃないかなと。それは私は勿論、千歌だってそうだったはずです。その歌詞に色々な可能性を感じたのでしょう。

 もう一つ注目したいのは、千歌が水切りをした際の石の跳ねる回数です。数えていただければ分かりますが8回なんです。何故だと考えました。Aqoursのメンバーは9人ですから、千歌を発起人と考えれば、千歌の集めた8人=跳ねた回数になります。そして映像では判別しかねますが、水切りした石は決して等間隔には跳ねません。これは後に集まる8人がそれぞれ素晴らしい個性を持っていることの暗示ではないかと思います。となると、水切りという行為それ自体が、燻っていたメンバーの気持ちを焚き立てるものとして描かれているとも取れます。千歌が取った石も砂浜に「埋まって」いましたしね。

 

 

 

第2話「転校生をつかまえろ!」

*あらすじ* 作曲のできる梨子をスクールアイドルに執拗に勧誘する千歌だが、梨子はこれを悉く拒否。しかし、思い悩んでいた海の音を聴けたことで作詞だけでも、と協力をしてくれることに。千歌のスクールアイドルへの想いがとても大きいことに気付いた梨子は、同時に、今の自分は何をやっても楽しくないと千歌に本音を明かす。「梨子ちゃんの力になれるなら、私は嬉しい!」。梨子は千歌とスクールアイドルとして歩んでいこうと決意した。

 

 第2話は言うまでもなく千歌に感化される梨子の話でした。しつこく誘い、押してダメなら引いてみる、と。梨子は見事にその術中にはまった訳です。しかし、千歌は何の下心もなく「じゃあ海の音だけ聴きに来てよ」と言いました。だからこそ梨子は「ほんと、変な人。」と言いながらも離しかけた手を握り返し、千歌を信じたのでしょう。これは私を含め視聴者は皆そう感じたことと思います。そして最後の、ベランダから体を乗り出して必死に手を伸ばすところに全てが集約されているんですね。「さすがに届かないよね・・・」と諦めかける梨子に「待って!ダメ!」と言って手を伸ばす千歌は、(ここで想いを繋げなきゃ!)と思ったんじゃないでしょうか。その想いが伝わったからこそ、梨子はもう一度手を伸ばしたんだと私は考えます。2人の手が触れ合いエンディングが流れながら画面が引いていく時に映る月は、今まで迷っていた梨子の心情に光明が差した、という風に解釈して良いでしょう。

 この2人以外にも注目してみましょう。まずは海の音が聴こえ喜んでいる2年生3人組を見る時の果南の表情です。後述しますが、3年生は以前スクールアイドルとしての活動で一悶着あってから空気がよくありません。それまでは幼馴染であることもあり、大層仲睦まじかったのですが・・・。そのことを思い出したのか、果南は何だか寂しい微笑を浮かべています。「あんなこともあったなあ」と思いながら、もっと言うなれば「あの日に帰りたい」と思っているのかもしれません。

 また、千歌と梨子の話なので、どうしても埋もれがちになるのが曜です。今後も幾度となく聴くこととなる「じゃあ、やめる?」という言葉は、幼馴染の千歌に向けてしか発せられません。3話で梨子に「どうしてそういう言い方するの?」と聞かれた時、曜は「こう言ってあげた方が、千歌ちゃん燃えるから」と返しています。では、この言葉はどうして発せられるようになったのでしょう。このヒントは同じく第3話の志摩姉と曜の会話にあると見ました。志摩姉は千歌のことを「あの子、ああ見えて飽きっぽいところあるでしょ?」と捉えているのに対し、曜は「飽きっぽいんじゃなくて、中途半端が嫌いなんですよ。やる時はやらないと気が済まないっていうか」と捉えている。この時の曜の表情が何だか複雑であることから、今まで一緒に何かをやれず、千歌が何かやってみようと言い出した時に焚きつけたり、応援する気持ちで思いついたのが「じゃあ、やめる?」で、「中途半端が嫌い」とは、「中途半端で終わらせてほしくない」という曜のエゴの裏返しなのかな、と考えました。であるならば、第8話での「千歌ちゃん、やめる?」は、Aqoursに張り付いた重苦しい空気を吹き飛ばしてほしいという旨の発言ではなく、ただ千歌にやめてほしくない、続けて欲しいという意味だったと捉えることができます。元気で気配りができる、要領のいい女の子と思われている渡辺曜には、実はエゴの気が強い一面もある。そんな自分と周囲とのギャップに思い悩んでいることも、今後の話に影響を与えることになるのかもしれません。

 

 

第3話「ファーストステップ」

*あらすじ* スクールアイドルとして活動をスタートした3人を、新理事長に就任した鞠莉が後押ししてくれることに。しかしその代わり、ファーストライブで会場を満員にできなければグループは解散という厳しい条件を突きつけられてしまった。ライブ当日、電線のアクシデントにより中断してしまい、千歌たちの心が折れてしまうかと思われたその瞬間、電気の復活と大勢の沼津の人たちが駆けつけたことで自信を取り戻し、無事ライブは成功。スクールアイドルAqoursは初めの一歩を踏み出した!

 

 多くの人は第3話を「出来過ぎている」と思うでしょう。新理事長の後押し、停電の復活(あの短時間ではかなりきつい)、講堂が満員になるほどの人の数。なるほど、これらがファーストライブに重なるなんて現実じゃ考えられません。仮に、実際にこのような結果になったとしたら思い上がってしまうかもしれません。ですが、その後のダイヤの「これは今までのスクールアイドルの努力と街の人たちの善意があっての成功ですわ。勘違いしないように!」という言葉を鑑みると、別の側面が浮かび上がり、この状況は比喩であることが分かります。つまり、今までのスクールアイドル→アニメの中でのμ`sと三次元で活躍したμ`s、街の人たちの善意→これまでコンテンツを応援してきたファン、発言したダイヤ→運営と捉えるならば、ダイヤの言葉は「彼女たち18人の努力と、それを6年間も応援して下さり、引き続き声援を送って下さるファンの皆様のおかげで、あなたたちは今このステージに立つことができている。『自分たちの力だけでここまでの人気になった』とはくれぐれも思わないように」と言い換えることができます。これまでずっとμ`sを応援してきたファンの代弁とする意見もありますが、私は運営からの戒めと同時に叱咤激励であると考えます。というのも、この場に居合わせている理事長の鞠莉→学院のトップ→原案者と考えるならば、講堂に関係者が全員集まっていることになり、続く千歌の言葉が全員への決意表明と同意であると思うので。であるならば、ファーストライブを持ちかけた鞠莉の真意は、「自分たちの意気込みを他の人たち(ファン)に示してね」という風にも取れます。

 

 

第4話「ふたりのキモチ」

*あらすじ* スクールアイドルが大好きなルビィは、人前が苦手な上に姉のダイヤのこともあり、入部しようという決心ができないでいた。その様子を見た花丸はルビィに体験入部を勧める。背中を押されたルビィは、ダイヤにスクールアイドルへの想いをぶつけ入部するに至ったが、そこに花丸の姿はなかった。自分の世界に戻ろうとする彼女に、ルビィは告げる。「スクールアイドルがやりたい!花丸ちゃんと!」こうしてAqoursは5人になった。

 

 全編を通して、私が一番好きなのがこの第4話です。何故かといいますと、お互いを理解し合った親友同士がお互いに背中を押し合うという、「ラブライブ!」1期4話と2期5話が1話に集約されているからなんです。一言で言うなら「濃密」。この話だけで軽く10回以上は観ました。それだけ心を揺さぶられた回でした。

 お互いがお互いの背中を押し合う場面ですが、照らし合わせてみると非常に対照的なのがまた面白いところです。花丸はルビィのことを「彼女の中に詰まっている光を、世界の隅々まで照らせるその輝きを、大空へ放ってあげたかった」と、文学的に、心の中で形容しています。一方で、ルビィは花丸のことを「花丸ちゃんのことずっと見てた。ルビィのために無理してるんじゃないかって。でも練習中も楽しそうにしてるのを見て思った。花丸ちゃんはスクールアイドルが好きなんだって!」と、感情のまま素直な言葉で、直接本人に伝えています。花丸は、最初こそ「スクールアイドルやりたいんでしょ?だったら前に進まなきゃ」とルビィに告げましたが、彼女への期待は言葉にせず胸中に秘めているので、感情のままとは言えないでしょう。良いバランスで成り立っている2人だと思います。

 ルビィのスクールアイドルへの揺るぎない想いも注目に値するでしょう。3話のライブで千歌たちが披露した「ダイスキだったらダイジョウブ!」を、1フレーズだけでも体験入部という短い時間でマスターしていたのを見るに、相当集中してライブを観ていたんだなと思われます。また、部室に戻ってきた際もステップの復習を欠かさないあたり、本当に強い信念を感じます。強いと言えば、あらすじでも触れましたが、花丸に背中を押された後のルビィは、あんなに気にしていた姉にしっかりと自分の気持ちをぶつけていました。アイドルとして大事な要素である、芯の強さを持ち合わせた子であることを伺わせます。

 

 

第5話「ヨハネ堕天」

*あらすじ* 順位が思ったように上がらず、悩むAqoursの面々。そんな折、堕天使キャラを動画で配信している善子と、彼女へのコメントを観た千歌は「これだ!」と即座に飛びつく。ところが善子は堕天使キャラを捨て去ろうとしていて・・・。そんな善子に「自分が好きならそれでいいんだよ!」と主張する千歌と仲間たちに感化され、自らもスクールアイドルとしての道を歩むことにしたのだった。

 

 正直な話、第5話は最初はギャグ回だと思っていました。アニメが始まる前から、善子は「こいつはやばい」と一部で呼ばれるほど濃いキャラでしたから。しかし、蓋を開けてみれば、自分のアイデンティティを捨て去ろうとした子が、それを許容してくれる居場所を見つけるという熱い展開だった訳です。「本当は心の中では好きだから手放したくない、でも世間体を気にしたらずっとこのままではいられない」。このような葛藤に苛まれることは誰しもあると思います。善子は「好き」の気持ちを抑えつけて、堕天使を捨て一般人として生きて行こうと決意しました。それについて、今まで誰も意見する者はいなかったけれども、ここにきて初めて自分の「好き」を肯定してもらえた。それどころか、「~するかもしれないわよ!」という問いかけに対して、「いいよ」、「それくらい我慢する」、「嫌なら嫌って言う」と、はっきりと応対をしてもらえたことに、善子は得も言わぬ嬉しさを感じたでしょう。いわゆる厨二病という陳腐な語で片付けてしまうのではなく、「堕天使」を個性と位置付けて許容するという構成は実に見事です。

 善子が話に絡んでくる少し前に、ルビィの「みんなの応援で足が生えるとか!」発言に対して、曜が「人魚姫」の話題にほんの少しだけ触れました。ここで「人魚姫」の名が出たのは単に話の流れからなのか、あるいは何か別の狙いがあるのか。放送当時からとても気になっていました。少し解説しますと、「人魚姫」はアンデルセン作の童話です。6人姉妹の末っ子のお姫様は、陸に住む王子様が遭難しているところを助け、恋に落ちます。この想いを伝えたいが、人間と人魚の接触は禁忌であるためできません。そこで彼女は海の魔女の元を訪れ、声を犠牲にする代わりに足を与えられ、ついに王子と対面します。目の前にいるのに自分が命の恩人と伝えることのできない歯痒さしさを感じているうちに、やがて王子は別の女性と結婚してしまいます。再び人魚として生きて行く道もあったが、お姫様はその道を捨て、海に身を投げ泡となって消えることを選んだ、というこの上なく悲しい恋のお話な訳です。       

後半の内容はさておき、作中でも出てくる前半部分に注目してみましょう。「お姫様は王子様に会うために、魔女に人間と同じ足を生やしてもらうが、代わりに声を失う」という箇所です。王子様=理想像とすると、足を生やすことはその理想に少しでも近づこうという意志、声を失うことはそのために自分らしさを捨てると捉えることができます。であるならば、魔女は世間体とでも言いましょうか。まとめて言い換えると「理想像に近づくためには、自分の持っているものはそぐわない。世間体的に手放すのがいいだろう」となります。これ、善子の境遇そのものではないでしょうか?だとすれば、この話の直後に5人を覗いている善子のシーンがくるのも納得がいきます。とてもタイミングよく登場したな、図られたなと思いました。また、自分よりも先に海の上に出ることを許された5人の姉を見つめる、王子に恋をした人魚姫は末っ子なので、6番目に加入する善子とも重なります。

 

 

第6話「PVを作ろう」

*あらすじ* 沼津の高校と統合し、廃校の危機にさらされる浦の星女学院。そこで廃校を阻止しようと千歌が考えたのが内浦のPV作成だった。ところが、思ったより地元の魅力を伝えるのは難しく、四苦八苦しながらも作り上げたものは体たらくと鞠莉に評される。答えが分からぬまま迎えた朝、行われた海開きの様子を見て、梨子が呟く。「これなんじゃないかな」。人の温かさや優しさに触れたAqoursはPVを作り上げ、自分たちには何もないと思っていたけど違ったんだと気付いたのであった。

 

 第6話を観る前は、3年生の加入はまだだけど、ある程度人数はそろったし折り返しだから箸休め的な話になるのかな、なんて思っていました。確かに笑いの要素は多分に含まれていましたが、彼女たちはまだ「普通」の域を出ていないということも浮き彫りになり、全体を通して、それぞれが静かに葛藤している印象を受けました。特に千歌はそれが顕著で、「みんなそれぞれ特徴があって~」の「みんな」の部分には自分は含まれていないと感じ、他の5人を棚上げしています。これはその後の「普通の女子高生が集まって何ができるのか、ね」という梨子のフォローから感知することができます。また、最後の「私、ずっと叫んでた。『助けて!』って。ここには何もないって。でも違ったんだ。追いかけてみせるよ、ずっと、ずっと。この場所から始めよう。できるんだ!」という言葉は、千歌が「普通」からの脱却を果たしたことを象徴しています。G`sマガジン誌上でビジュアルとともに掲げられた「助けて!ラブライブ!」の答えがここで示されたわけですね。その感動も相まって、ここを名場面に挙げる方も多いのではないのでしょうか。一方で私としては、ここを「『普通』からの脱却」という視点以外で捉えられることをお伝えしたい。注目するのは、前述した情景描写です。上の台詞を千歌が言う時、時間帯は夕暮れ、風は自分たちに向かっています。この場面の夕暮れは5話までに出てきた中で最も夕闇に近く、加えて向かい風。これらが示すものは、文字通り今後の空模様が怪しくなっていくことへの暗示でしょう。事実、彼女たちは7・8話で「0」という壁にぶち当たります。彼女たち(特に千歌)がどん底に陥っている間はずっと闇夜で、立ち上がり先に進もうと決意した時に晴れ間が差す。情景に注目すると彼女たちの心情が透けて見えてくるのです。なので、6話の最後は、これから起こる災いの前兆、始まりと捉えることができる訳です。無論、この災いは彼女たちの成長の為になくてはならないものなのですが。また細かな点として、この台詞を発する千歌を見る5人の内、曜だけがポカンとした表情を浮かべていることにも言及しておきましょう。他の4人はここから始まることへの希望を抱いたような表情で、千歌本人というよりは、彼女を含めた風景全体に目を向けているように見受けられます。一方曜だけは、希望云々は置いておいて千歌だけを見ているように思えます。ここには幼馴染として、最も長く一緒に過ごしてきたからこそ感じたものがあったのでしょう。それは、昔から自分と一緒に何かをすることができずにいた千歌が、遂にやりたいことを見つけ一心不乱になる様に驚くような嬉しいような、それでいて寂しいような、という複雑に入り組んだ感情なのでしょう。だからこそ、何ともつかない呆気に取られたような表情になったのではないかと考えます。

 Aqoursの活動が主な第6話ですが、3年生の動きにも触れてみましょう。AqoursのPVを「体たらく」と一蹴した鞠莉は、「少なくともあなたたちよりは」理解していると千歌たちに返します。では鞠莉の思う内浦の魅力とは一体どういったものなのでしょうか。第6話までの時点で分かっていることは、鞠莉が理事長として浦の星の廃校問題を遅らせていること、鞠莉・ダイヤ・果南の3人は幼馴染であること、上記のことを鞠莉がとても重要で大切なものと位置付けていること。関係がある事柄としては以上の3点です。つまり、友達と過ごすことのできたかけがえのない場所、自分を育て上げてくれた雄大な場所という地元への感謝を理解した上で魅力を語れ、というのが鞠莉の主張です(『場所』には無論『学校』も含まれる。6話内では『耽美』と表現していた)。これを念頭に置けば、町の特産品や名所という有形物のみの分かりやすいアピールで終わっているAqoursのPVに厳しく当たったのも無理はないでしょう。表面的なものだけでアピールなど、鞠莉はしてほしくなかったのです。

 

 

第7話「TOKYO」

*あらすじ* 先日のPVが注目を浴び、喜びを露にするAqoursの面々。そこへ、スクールアイドルの祭典「スクールアイドルワールド」への招待メールが届き、一路東京へ向かうことに。大会当日、Aqoursの前に姿を現したのは、前日に立ち寄った神田明神で見かけた2人組の少女。鹿角聖良は言う「見てて、私たちSaint Snowのステージを」。波乱の幕開けである。

 

7話はずばり不安を煽る回でした。大好評のPV、東京への招待、同じスクールアイドルとの邂逅・・・どれを取っても嫌な予感がひしひしと伝わってきます。注目され東京のイベントに呼ばれるという、めでたく明るい出来事なのにどうして逆説的になってしまうのか。これは6話までが好調すぎたことに起因すると見ます。1・2話とメンバー加入、3話でファーストライブが成功、4・5話でまたもメンバー加入、6話で作成したPVが大好評と、これほどうまく事の進んだ話もそうはありません。ぶつかる壁も「果たして客が集まるのか」レベルで済んでいましたし、個々人の抱える問題はありましたが、グループの抱える問題は特に見られませんでした。次章の対談でも話していますが、6話までは、スクールアイドルを始めてから自分たちに自信がつくところまではセットと捉えていいでしょう。つまりは明るく好調なAqoursは一旦終了。ここまでは山、であるならば次は必ずどん底の谷が待っているはずです。極めつけが6話後の次回予告。実はメンバーが東京にいるカットは次回予告に1つもないのです。更にタイトルコールが全員で「TOKYO!!!!!!」ですから、もう不安で仕方ありませんでした。皆さんご存知の通り、Aqoursは8話で最大の壁にぶつかります。その前振りとして、この7話の存在意義は非常に大きなものです。

 

 

第8話「くやしくないの?」

*あらすじ* 入賞することができず落ち込むAqours。そこへリポーターから各グループの得票数の結果が渡される。内訳は全30グループ中30位、得票数は0。それでも平然を装おうと努めてきた千歌は、梨子の前で本音をぶちまける。「なのに『0』だったんだよ!悔しいじゃん!」やっと自分に素直になれた千歌の手を取り、梨子ははっきりと呟く。「今から『0』を100にすることは無理だと思う。でももしかしたら『1』にすることはできるかも。私も知りたいの、それができるか!」うなずく千歌に光が差す。Aqoursは今、本当の意味でスタートを切った。

 

 第8話で最も重要かつ印象に残ったのは、やはり東京から帰ってきた翌日に千歌が心情を吐露するシーンでしょう。この時の言葉を振り返ってみましょう。「(何か見えた?と問う梨子に対して)何も見えなかった。でもね、だから思った、『続けなきゃ。』って。私まだ何も見えてないんだって。先にあるものが何なのか、このまま続けても『0』なのか、それとも『1』になるのか、『10』になるのか。ここで止めたら全部分からないままだって。だから私は続けるよ、スクールアイドル。だってまだ『0』だもん。あれだけみんあで練習してみんなで歌を作って、(中略)スクールアイドルとして輝きたいって。なのに『0』だったんだよ!悔しいじゃん!差がすごいあるとか私とは違うとか、そんなのどうだっていい!悔しい!やっぱり私、悔しいんだよ・・・」演技も相まって、非常に心苦しくなる、しかしストーリー上なくてはならない必至の名シーンです。初めて本気で取り組んだことなのに「0」という無情な結果を突きつけられ、それでいて「自分が泣いたらみんなが落ち込むから」と我慢していた千歌。それに対して梨子は「馬鹿ね。みんな千歌ちゃんの為にスクールアイドルやってるんじゃないの。自分の為にやってるの。(中略)だからいいの。千歌ちゃんは感じたことを素直にぶつけて、声に出して」と答える。こう言ってもらえたことが、千歌にとってどれだけ救いであったかは想像に難くないでしょう。

執筆の際に本編を見返していると、見る度にどんどん成長していく彼女たちの姿にはワクワクします。8話は特にですね。繰り返しになりますが、得票数0というどん底を味わい、今までやってきたことが全く実を結ばず、初めて「悔しい」という感情が生まれた。それでもその事実を逃げずに受け止め、仲間たちと前に向かって進んでいこうと決めた。自分にとって悪いことを受け入れるのは容易ではありません。それどころか、彼女たちは「0」であったことを忘れないために、部室に得票数結果を貼り付けるまでしました。このシーンにはグッときました。

 他にも述べておきたい点が幾つか。1つ目は具体的な数字が多く用いられていることです。この話上では、①全「30」グループ中「30」位、②得票数「0」、③「0」から「1」にしたい、④昨年最終的にラブライブ!にエントリーしたグループ数「7236」が挙げられます。恐らく、これは意図的に数字を多く散りばめたのだと考えます。例えば、米の生産量が前年に比べて全国的に増えました、と発表するとしましょう。しかしこれだけではどのくらい増えたのかは分かりませんし、そもそも本当に増えたのかさえ疑問です。一方で数字が上がっていれば、実績があるのだなとオーディエンスを納得させることができます。つまり、数値として表されるということは、その事象がより確実なものとして理解されるということなのです。話を戻して当てはめてみると、①は自分たちが他のグループに及ばなかったこと、②は誰も評価してくれなかったこと、③は無を有にするように頑張ろうということ、④は思っている以上にライバルが多いこと、となります。数字が第8話で多く用いられたのは、Aqoursの現状の厳しさが伝わりやすくなるように、転じてAqoursが「完敗からのスタート」を切ってここから這い上がっていくから見てろよ、という制作陣の意思を表明するためだったのかもしれません。

 2つ目は、クラスメイトのむつが言った「ラブライブ!決勝狙えちゃうってこと!?」が、第7話での千歌の「このままいけば『ラブライブ!」優勝できるかも」とニュアンスが同じ点です。更に千歌は、「優勝できる可能性は『0』じゃないんだし」と続けています。確かに、東京に行く前の段階ではPVは大反響を呼び、メンバーの人気も高く、「これはいけるぞ!」と思わせるのには十分な材料が整っていました。まだ「自分たちなら案外いいところまで行けるんじゃないか」という楽観的な、未だ越えがたい壁に遭遇したことがない無知さが彼女にはありました。しかし現実は前述の通りです。現実を突きつけられた千歌はむつのこの言葉を聴いて、東京に行く前の舞い上がっていた自分を思い出してしまったのでしょう。この時の千歌の心中を察すると胸が痛くなります。

 3つ目はルビィの涙と芯の強さです。沼津に帰ってきた6人を出迎えてくれたダイヤを見て、我慢できずに泣きじゃくる姿には共感せざるを得ません。誰よりもスクールアイドルが大好きで、誰よりもスクールアイドルをやりたかったからこその反応。本当に悔しいという気持ちが伝わってきました。芯の強さについては第4話でも少し触れましたが、黒澤ルビィという女の子は本当に強い子なんです。第8話では泣き疲れて、姉の膝の上で寝てしまってそれっきりと思いきや、夜に自室で1人ステップを踏んで練習しています。昼間にあのような出来事が起こったばかりなのに、それでもなお立ち上がり鍛錬に励む様はおよそ鋼のメンタルと言う他ありません。

 最後に、リポーターのお姉さんが集計結果をAqoursに渡したことに関しては、彼女の功績と言って異論はないでしょう。少なくとも5年間、数多くのスクールアイドルをリポートしてきた中で、恐らく得票数0というのは初めて見たことでしょう。イベントが終わって少ししてから千歌に集計結果を渡した場面が、それを裏付けています。しかし、流石に可哀想だ、気の毒だと思いながらも、「結果は開示することになってるから」と集計結果を渡したことが、結果としてAqours井の中の蛙で終わることなく、次のステップに進むきっかけとなった。彼女には最大の賛辞を送りたい所存です。

 

 

第9話「未熟DREAMER

*あらすじ* 沼津の花火大会で歌の依頼を受けたAqours。活動が順調な一方、千歌は果南が何故スクールアイドルを再開しないのかが気になっていた。その真実を知っているダイヤを問い詰め、鞠莉がイベント当日に怪我をしていたこと、このまま続けていたら留学や転校の話を悉く断っていた彼女の将来を潰してしまうかもしれないこと、とにかく鞠莉のことを思っての意固地さだったことを知る。包み隠さずお互いの気持ちを伝えあった鞠莉と果南、そして妹のルビィに背中を押されたダイヤが加わり、花火大会でのライブも敢行。Aqoursは晴れて9人になった。

 

 待ちに待った3年生回です。以前から3年生だけ独立して不穏な空気が漂っていましたが、今回でその真相が明らかになり、解決・加入まで至りました。前話もかなり重い内容だっただけに、正直ここまで長くてしんどかったです(笑)。ですがいずれもスカッとして終わったので、心は晴れやかです。

 第9話の軸は、言わずもがな果南と鞠莉の関係性でしょう。2年前の東京でのステージで歌「え」なかったのがそんなに気にすることなのかと問う鞠莉は、果南のことを「逃げた」と捉え、「頑固おやじ」と形容しています。それもそのはず、果南は「うるさい!」と一蹴するだけなのですから。お互いの認識がずれているから、「卒業まであと1年もないんだよ」、「戻ってきてほしくなかった」、「もうあなたの顔、見たくないの」という発言も、鞠莉には違って聴こえてしまう。同じくダイヤが「果南さんのことを『逃げた』なんて言わないで」と言うのを見て、何故果南の肩を持つのかが分からず、その末に出た言葉が「ダイヤは本当に好きなのね、果南が」(第6話参照)だったのでしょう。本当は2人とも同じくらい大好きなのに。このちぐはぐする感じは見ていて歯痒かったです。

 一方果南は、鞠莉がイベント当日に怪我をしていたことを留意して、敢えて歌「わ」なかった。そもそもこの認識の相違がねじれの原因な訳です。更に鞠莉が留学の話を全て断っていたことも知っていた為に、「私、スクールアイドルやめようと思う」、「終わりにしよう」と無理やり終わらせてしまった。しかし、鞠莉の「学校を救いたい」という想いがあまりにも強すぎたのが、より一層齟齬を生んでしまった。自分にとって大切なこの場所を守りたいと強く願う故に、失敗を引きずっている(と鞠莉が思い込んでいる)果南を攻め、焚きつけようとする鞠莉と、この場所を守ることよりも親友の将来を優先させようとした果南。あまりにも不器用すぎる2人は、ダイヤの後押しにより、すべてを終わらせた部室で和解する。お互いにぶつかり合い、2年という、高校生にとっては長すぎる期間遠ざかっていた気持ちはここに収束したのです。

 どうしても2人の陰に隠れてしまうダイヤですが、彼女がいなかったらこの問題は平行線を辿っていたことでしょう。果南と鞠莉の事情を唯一Aqoursの面々に共有することのできる存在であり、一見身勝手とも取れる鞠莉の言動や行動を一度も叱りつけることなく諭す存在。恐らく果南に部室に行けと指示を出したのも彼女でしょう。もしダイヤが千歌のように「いい加減にしろ!!」と叫んでしまうような性格だったら、3人はとっくの昔にバラバラになってしまっていたはずです。そんな彼女も、スクールアイドルに誘われた時に「生徒会の仕事があるから」と断るなど素直ではないのですが、ルビィに「親愛なるお姉ちゃん、ようこそAqoursへ!」と、今度は背中を押される側になり、スクールアイドル活動をすることを決意します。いつもダイヤのことを一番近くで見てきたルビィという姉妹愛はμ`sの頃にはなかったので新鮮でした。

 

 

第10話「シャイ煮はじめました」

*あらすじ* 遂にラブライブ!予選の時期に差し掛かった。そこで千歌は自分の家で合宿をしようと提案。昼間は町内会で出す海の家を手伝い、朝と夕方に練習をすることに。そんな中千歌は、梨子がピアノコンクールに申し込むか否かで悩んでいることを知る。一度はラブライブ!予選に集中しようと決めた梨子だったが、千歌に「ピアノは梨子ちゃんの中で大切なものなんでしょ?その気持ちに、答えを出してあげて」と言われ、ピアノコンクールに出る意を固めた。

 

 10話にしてようやく箸休め的な話でした。勿論それはフリだけで、きっちり解消できていない問題にもしっかり向き合っていました。スクールアイドルのことや町のことが自分の中でどんどん大きくなっていき、今は最高の曲を作ることが目標だと梨子自身は言っており、それは嘘偽りのない本心なのでしょう。でもそれを認めながらも、ラブライブ!予選が近づいていても、一度挫折したピアノへ向き合ってもらいたくて「ピアノコンクール出て欲しい」と告げた千歌はなんて優しく、強く、相手の心を汲み取れる子なんでしょうか。1人でも欠けてはいけない状況なのに。こんなこと普通は言えません。千歌は続けます。「(中略)街のことやみんなのことが大事なのは分かるよ。でもそれと同じくらい、梨子ちゃんにとってピアノは大切なものだったんじゃないの?その気持ちに、答えを出してあげて」と。これを聴いた梨子は、自分の中で引っかかっていたものが、最後のつっかえがとれたような感覚だったと察します。「ホント、変な人」という言葉は、最初こそそのままの意味で使われていましたが、その後に「大好きだよ」と続くことから、第10話ではプラスの意味で用いられています。「固定概念や仕方ない等の諦めに囚われない、勇気をくれる人」という意味でしょうか。

 話は前後しますが、9話で梨子が鞠莉の「逃げるのを諦めた」という発言に反応したシーン、とてもさりげなかったのですが、10話を観た後だと良く理解できます。「逃げるのを諦めた」ということは、「向かい合うことにした」と言い換えられます。千歌に説得される前の梨子は、もしかしたらスクールアイドルとして曲作りも並行して頑張ると、聞こえはいいですが、その実「ピアノを披露する」という行為そのものからは逃げていたのかもしれません。だから、コンクールの知らせが届いた時は、「スクールアイドルとどちらを取るか」というよりは「ピアノを人前で披露するか否か」で迷っていたんじゃないかと思います。振り返ってみたら、ピアノを弾く梨子を見たことがあるのは千歌ただ1人です。彼女の説得があったからこそ、梨子はピアノに「向かい合う」ことができたのです。

 千歌、梨子ときたら、次は曜の話題でしょう。気になった箇所は、千歌が何となく元気のないような顔をしていたので、曜が声をかけるシーンです。千歌は「何でもないよ。ありがとう」と言いながら梨子を見つめるのですが、この時に曜は何を思ったのか、大筋は想像に難くないと考えます。何故なら、曜は千歌との幼馴染で、昔からずっと一緒だったのに、一緒にスクールアイドルを始めてからは梨子といることが多いからで、それに対する曜の感情は寂しく、もっと強い情念だと嫉妬を覚えているという答えしか導き出せないのです。いや、下手をすると寂しさすらあまりないのかもしれません。

 

 

第11話「友情ヨーソロー」

*あらすじ* 千歌から「梨子ちゃん」という単語が出る度に気分が曇る曜。鞠莉に助言を受けるも、「梨子ちゃん」のせいで本音が曝け出せない。そんな曜の元に、梨子から直接電話がかかってくる。苦しくなって、遂に「千歌ちゃんは梨子ちゃんといる時が楽しそうだし」と本人に本音を打ち明ける。それを聴いた梨子は、千歌が曜の誘いを断り続けていたのがずっと気になっていて、スクールアイドルは絶対に一緒にやると決めていたことを知らせる。直後、曜の家の前には、遠路はるばる自転車を使ってやってきた千歌の姿が。「私バカだ。バカ曜だ・・・!」曜はやっと素直になれたのだった。

 

 第11話は第10話に引き続き、核となる2年生の関係性を綴る話でした。今回の主役は曜です。曜はこれまで、衣装が作れる・コミュニケーション能力が高い・料理もお手の物と、万能で元気な女の子という印象が強かったのですが、今回の話では一転して悩みを抱える女の子として描かれています。その悩みの種は言うまでもなく千歌と梨子で、前者には疑念を、後者には嫉妬を感じます。

まず「疑念」についてですが、端的に言えば「私と一緒じゃ嫌なのかな?」という疑念です。ずっと前から千歌と2人で何かをやりたいと思っていた曜は、スクールアイドルに誘われた時はとても嬉しかった。しかしみんなが加入して自分以外と(特に梨子と)楽しく話しているのを見ると、別に自分とやりたかった訳じゃなかったのかな、なんて考えてしまう。この一連の流れから、普段は明るく振る舞っている彼女は、その実悪い方へ物事を考えてしまいがちなところがあると感じました。そして、それを誰にも相談しようとせず、「これで良かったんだよね」と無理やり自分を納得させようとする場面も見られたことから、自己犠牲の精神が強すぎるとも感じました。そんな曜の気持ちを察して、鞠莉が「ぶっちゃけトーク」の場を設けたのはまさしくファインプレイでしょう。相手の悩みを引き出し、梨子への感情を嫉妬だと指摘し、自身の経験と結びつけて、本音で語り合うことの重要性を説く。それにより直接成果が上がったという描写はありませんが、鞠莉の突然の訪問は、曜にとっては救いの手であったことでしょう。

次に「嫉妬」についてですが、これは「ずっと一緒にいた千歌が、気付くと梨子にばかり構っていてモヤモヤする」と言い表せます。実際に、梨子が加入してからは千歌と曜が2人だけでいる描写はびっくりするくらいなく、それこそ第11話でやっと、といったくらいです。逆に千歌と梨子が2人きりで話すシーンは本当に多く、大事なところは決まってこのコンビです。極めつけは第9話の千歌の慟哭シーンと、第10話の梨子のピアノへもう一度向き合ってもらいたいと千歌が打ち明けるシーンでしょう。やはり「ラブライブ!サンシャイン!!」という作品は千歌と梨子が軸のストーリーなのだと実感します。一方で、千歌の本音を引き出せず、千歌に手を差し伸べてももらえなかった曜が、その担い手となった梨子に嫉妬するのは当然と言えます。それまでは自分がそれらを享受することの出来得る立場だったのですから。このことから、鞠莉が「梨子に千歌を『取られて』」と曜の気持ちを形容したのは的確と言えます。

最後に、今回のタイトル「友情ヨーソロー」の意味するところを考えてみましょう。そもそも、曜がよく口にする「ヨーソロー」とはどういった意味を持つのでしょうか。広辞苑によれば、「操船で取舵・面舵の必要はなく、真っ直ぐに進めという場合の命令語」とあり、またweblio辞書には、「船の舵取りがよい具合である、この方向・角度へ向かって進め、という意味合いに由来する語。転じて船上のさまざまな場面で肯定的な意味合いの掛け声として用いられる表現」とあります。本編と照らし合わせると、「千歌は自分とよりも梨子といる方が楽しそうだ」と思っていた時は、自分がどこへ向かえばいいかが分からなかった。そこに「本音をぶつければいい」と鞠莉が、「もう一度作り直した方がいい!曜ちゃんと2人で!」と千歌が、それぞれ針路を示してくれた。答えは至ってシンプルで、「自分と一緒は嫌なのか」と決めつける必要は全くなく、ただ真っ直ぐに相手と向き合い友情を再確認することが肝要だということ。それができれば、この先何の問題もなく大海原を渡っていくことができるということ。私は以上のように捉えます。

 

 

第12話「はばたきのとき」

*あらすじ* 先に行われたラブライブ!予選を見事通過したAqours。これで多くの生徒が浦の星を志願するはず―と思いきや、志願者数は0。この時期には廃校を阻止していたμ`sは私たちと何が違うんだろうと疑問に感じた千歌は、みんなにもう一度東京に行こうと提案する。前回訪れることのできなかった音ノ木坂学院を訪問し、生徒からμ`sの話を聴いたことで答えを導き出す。「私は『0』を『1』にしたい!あの時のままで終わらせたくない!」想いを共有した9人は遂に1つに纏まったのであった。

 

 予選を通過してPVの再生数も上々、これで廃校阻止に向けて一歩前進したかと思ったら、全くそんなことはなかった。正直、Aqoursの面々と考えを同じくしていた為、当初は私も驚きました。ここまでやっても駄目なのか、と。しかしここで諦めないのが千歌のリーダーとしての素質ですね。加えて「東京みたいに人が集まるところじゃないっていうのを言い訳にしちゃいけないと思う。それが分かった上で、私達スクールアイドルやってるんだもん!」という言葉からは、8話での悔しさが活きていることを感じさせます。

第12話のテーマは、ずばり「μ`sとAqoursは何が違うのか」です。このテーマを理解する材料として、私は①Saint Snowとの再会、②音ノ木坂への訪問、③μ`sが「終わり」を決めた場所で「始まり」を宣言するAqours、の3つのポイントに絞りました。1つずつ解説していきましょう。

まずは①Saint Snowとの再会についてです。第7・8話でAqoursのことを軽んじていた2人は、彼女たちが予選を突破してきたことから、対等の立場で接してくるようになった。2人も自分たちがμ`sやA-RISEとどう違うのかを考えたが答えは出ず、勝って同じ

景色を見るしかないという結論に達した。また、「再生数はあなたたちの方が上ですから」と発言していることからも分かるように、この2人は実績のみを気にしています。だから「ラブライブ!勝ちたいですか?」という問いに「では、何故μ`sやA-RISEはラブライブ!に出場したんですか?」と、逆に聴き返すことしかできないのです。μ`sがラブライブ!本戦や、秋葉原で全国のスクールアイドルと1つのステージを作り上げてまで伝えたかったことは「仲間と一緒に1つのことを全力でやり遂げて最高のステージを作ること」や「スクールアイドルの素晴らしさ」であったはずなのに、その想いが曲解して伝わってしまっているのです。ダンスの質や実績など二の次で、心の底から楽しむことが一番大切なのを、Saint Snowは知らないのです。Aqoursの面々は、この時点ではここまで詳細には理解していませんでしたが、「学校は救いたい。けど、Saint Snowみたいにはなりたくない」と果南が帰路で言っていたようなモヤモヤした感覚は薄々と感じていたことと思われます。

次に②音ノ木坂への訪問についてです。まず、千歌ではなく梨子が提案したことに意味があります。ラブライブ!本戦がアキバドームで行われることを再確認し不安を抱える9人を、千歌でさえも何も言い出せなかったところに、梨子は意を決してそう発言したのです。停滞した状況を打破したのは勿論、前回行くことをためらった梨子が「行ってみない?」と発言したことは、他の8人を鼓舞したでしょうし、彼女自身が一つ成長し一歩前に踏み出した証として、第三者である視聴者にも強く印象付けました。劇的なBGMが使われるなどインパクトのあるシーンとは言えませんが、間違いなく名シーンだと思います。

音ノ木坂を目の前にして感動で立ち尽くすAqoursは、生徒からμ`sは何も残していかなかったことを聞かされます。「モノなんかなくても心は繋がってるから」と。そこに無印の1期1話を思い出させる女の子が手すりを滑り降りていく。その何事にも囚われない自由な様に、千歌は衝撃を受けたことでしょう。次の③でも述べますが、「自分たちとμ`sの違いは何なのか」という疑問と共に「μ`sの何が凄いのか」という疑問も、千歌は持ち合わせていました。女の子の、手すりを滑り降りるという子供特有の恐れを知らぬ行動は、後者の答えのヒントになった訳です。そして、最後に校舎に向かって「ありがとうございました!」と一礼する9人の姿からは、音ノ木坂への訪問からAqoursが答えの片鱗に触れることのできたという意味以外に、これまでの6年間を奮闘したμ`s18人への感謝という意味も含まれていると感じました。μ`sの頑張りがなければAqoursという奇跡は生まれなかった、ということを改めて認識させられます。前作との本当の区切りとして捉えることができる場面だと思います。

もう1つ取り上げたいのは、恐らく大多数の方が疑問に思われたであろう音ノ木坂の生徒についてです。不明なのは、「μ`sの人たち、何も残していかなかった『みたい』です」と言う割には全て見てきたかのような口調であること、9人が一礼した後に突然消えたことの2点です。彼女はいったい何者なのでしょうか。端的に言えば、物語の中で実在する人物ではまずないでしょう。というのも、前述したμ`sを始めから見てきたような口調と突然姿を消すという2点が根拠です。さらに言えば、音ノ木坂を訪れるスクールアイドルを見かける度に同じ話をする女子高生なんて非現実的です。人ではないとしたら幻覚なのでしょうか。実際に会話をしているので、この線も違うでしょう。となると、人に化けた動物と考えるしかありません。音ノ木坂の目の前では常に風が吹いて葉が舞っていますが、これは葉で人を騙す狐を暗示しているのではないでしょうか。となると、あの親子も狐の化かしなのかもしれませんね。

次に③μ`sが「終わり」を決めた場所で「始まり」を宣言するAqoursについてです。東京からの帰路の途中、千歌は音ノ木坂の生徒が「何も残していかなかったんです。それでいいんだよって。」と言っていたことを思い出し、じっとしていられなくなって皆で海を見に行こうと誘う。千歌は「μ`sのすごいところって、何もないところを全力で走り抜けたことだと思う。」と感じ、「だから翔べたんだ!勝ちたいとか一番になりたいとかじゃない。」という答えを導き出した。そして、「私は『0』を『1』にしたい!あの時のままで、終わりたくない!」と自身の決意を固くし、「なんか、これで本当にまとまれそうな気がするね」と果南がまとめる。8話を「完敗からの」スタート、9話を「9人揃っての新生Aqoursとしての」スタートと称するならば、12話は「9人の想いが1つになった本当の」スタートと言えるでしょう。

ご存知の方がほとんどだとは思いますが、この海岸はμ`sが終わりを宣言した場所です。寂しさ、苦しさ、切なさで一杯だったあの空間が、9人が泣きじゃくっていたあの駅が、今では希望に満ちた9人の笑顔に包まれている。彼女たちは知る由もないですが、ここで始まりを宣言したということがどれだけ意義深いことか。千歌が「自分だけの景色を見つけて走ります!みんなと一緒に!」と心に決め、羽を手にするシーンがいかに視聴者の心に突き刺さったか。μ`sの意志は間違いなくAqoursに受け継がれたんだと分かります。何度観ても必ず泣いてしまいます。

最後に、曜の考えた「みんなで指で『0』を作って『1』にしよう」という案から感じたことについて補足しておきます。「0」は主にテニスの試合で「ラブ」と言われ(諸説ありますが、フランスの「l'œuf」が転じて「love」になった説が有力)、9人で輪を作る時も「L」を作ります。また、「1」は「!」に酷似しています。つまり、「『0』から『1』へ」とはラブライブ!そのものと捉えることができるのではないでしょうか。しかし、「0」は何回足しても「0」。そこに加わるのが「live」(「活き活きいしている」の意)なんです。まとめると「『0』から活き活きと楽しく、勇気をもって『1』にしよう(なろう)」という、公式からの応援メッセージとも取れる内容になります。まさしく「Step!ZERO to ONE」ですね。

 

 

第13話「サンシャイン!!」

*あらすじ* ラブライブ!東海予選に挑むため、夏休み中も毎日練習に励む千歌たち。注目はされているが、肝心の入学希望者は未だ0。地域の魅力に気づいてもらいたく、曲を披露する前に町のことや地域のこと、自分たちの変遷を語る。輝きを与える存在となった彼女たちは、燻っている我々に「君のこころは輝いてるかい?」と問いかけ、物語を締めくくる。

 

 「輝きたい!」で始まった物語は、「輝いてるかい?」で一旦幕引きとなりました。千歌のひたむきな姿勢は、「私達にもスクールアイドルはできるのかな?」、「私達以外にも『学校のために何かしたい』って思ってる人、結構いるみたい」と、これまで学校存続は無理だろうと諦めていた生徒の心を動かしました。輝きを追い求めてきた千歌が、輝きを与える存在になったのです。この事実は千歌を涙させるのには十分な理由であり、同時に視聴者側も親のような気持ちで見守ったことでしょう。その際の情景描写は夕焼け、空には飛行機雲です。夕焼けは綺麗な輝き、つまりAqoursの輝きを演出していると見て間違いないでしょうが、飛行機雲の指すところは一体何なのでしょうか。そもそも飛行機雲は、飛行機の飛ぶ高さや上空の温度、湿度、空気の流れなどの条件がそろわないと発生しない(JAL公式HPのQ&Aコーナーより引用)もので、要は1つの現象と言えます。これをAqoursに当てはめてみると、やってみたいと思う心、楽しみたいという心、諦めない心、輝きたいと願う心など様々な感情があって、それらが「『0』を『1』にしたい」という1つの想いになり、μ`sと同じく何もないところを全力で駆け抜けた。全力で走った後には必ず足跡が残り、それが飛行機雲として表現されている、と考えました。しかし、飛行機雲に最初に気付いたのが千歌であることを考えると、「今現在彼女の視点から見た時のAqours」と捉えることも可能です。また、雲と青空の割合が半々なのは、自分たちの街を知ってもらおうという気持ちと、とにかくステージを楽しもうという気持ちがいい具合に混ざり合っている証拠のように思えました。

 第13話で印象に残るシーンと言えば、各学年3人毎で話すシーンがそれに当たります。まずは1年生。ルビィと花丸は、未だに自分たちの置かれている状況が信じられないでいた。そんな2人に、善子は「今こそがリアル、リアルこそ正義」と言い放ち、「ありがとね」と告げる。相手を気遣うことのできる性格と、自分を受け入れてくれた友達に感謝をするという、善子の素直さが垣間見えた貴重なシーンです。この「自分を受け入れてくれた」というワードが、1年生を象徴するものです。ルビィは「スクールアイドルはやってみたいけど、ダイヤのことを気にして決心がつかない」、花丸は「方言が出ちゃうし運動が苦手だから自分には無理」、善子は「堕天使なんて通用しない」と、それぞれ悩みを抱え、諦めていました。しかし、Aqoursはそれら全てを受け入れてくれました。やってみたいと思っていたルビィが仮入部中にダイヤと遭遇した時は、あえて止めに入らずに2人で話をさせ、心の靄が取れました。花丸が自分にできるかと不安がっていた時、「できるかどうかじゃない、やりたいかどうかだよ!」と千歌に言ってもらい、決心がつきました。好きの気持ちを閉じ込めて堕天使を捨てようとした善子に、はっきりと好きでいていい・そのままでいいと言ってオープンに接したことで、彼女はありのままの自分を曝け出すことができました。そんな、境遇こそ違えど、悩みの本質は同じであった3人。善子が本番前に2人に抱きつくところは、以上のことを踏まえていると涙なしには観られません。

続いて3年生は、一度離れ離れになってしまったからこそ、再び繋がった絆は他学年よりも強固です。「鞠莉がしつこく『やろう!』と言わなかったら、スクールアイドルはやってなかった」、「果南とダイヤが待ってくれてたから諦めずに来られたの」という言葉からもそれは伺えます。この3人はお互いを深く理解し合えていて、1人でも欠けたらダメなんだと、他学年よりも一層感じます。その証拠として、果南と鞠莉がギスギスしていた時はダイヤが中継役として冷静に対処し、ダイヤが仕事を溜めていたり意見する時は果南と鞠莉がフォローを入れていました。また3人が幼馴染であることも、絆の深さに関係しています。この3人だからこそ「あの日置いてきた物を、もう一度取り戻そう」という果南の言葉が沁みる訳です。「あの日置いてきた物」とは、2年前にスクールアイドルとして廃校を阻止しようとするも諦めてしまった夢や輝きのことでしょう。最も「青春の輝き」という言葉がしっくりくるのが3年生だと感じます。

そして2年生ですが、これは発起人の千歌と、千歌に引っ張られ輝きを手にした梨子と曜、という構図です。スクールアイドルを志したきっかけは千歌に起因するメンバーもいますが、全13話を通して、基本的に問題は各学年で解決されてきました。2年生も例外ではなく、梨子のピアノコンクールへの出場を後押ししたのも、モヤモヤする曜を心配して自転車で駆け付けたのも千歌でした。本番前、そんな2人に「これから辛くて大変なことだって一杯あると思う。でも私、それを楽しみたい!全部を楽しんで、みんなと進んでいきたい!それがきっと『輝く』ってことだから!」と言ったのは、少し前に2人が悩み苦しんでいるのを近くで見てきたからだと思うのです。それと同時に、Aqoursの18人を代表した所信表明・意気込みとも取れるかと思います。この先も千歌が中心となって、全員が目一杯楽しんで、キラキラと輝き続けていってほしいと願うばかりです。

では最後に、終盤のミュージカルの場面について考えていきましょう。この場面については、恐らくほとんどの方が考察を求めていることと思います。というのも視聴者の意見が、放送当時は賛否両論、若しくは賛とも否とも取れず、疑問の声が多数挙がっていたためです。振り返ってみると、そもそもは自分たちの住む場所をもっと知ってもらいたいと千歌が提案したことから始まり、それが発展してメンバー加入の経緯・葛藤・たどり着いた場所と、Aqoursの変遷を辿るに至る訳です。文字だけ見ればどうと言うことはありませんが、視聴者に疑問を抱かせたのはストーリー構成です。「何故このタイミングなのか」、「12話で終わっていれば綺麗だったのに」、「意味が分からない」、「幾らなんでもこれは許容できない」等厳しい意見が相次いだのは皆さんもよく知るところでしょう。正直に申し上げると、放送当時は私もポカンとしました。それこそ評価しようと思っても、「このシリーズらしいなあ」と思う一方で、「これ初見の人からすると意味不明だよなあ」という感想も同居しており、賛否を決めかねる状態でした。第12話が、Aqoursが本当の意味で1つになり、自分たちの信念に従って進んでいくことを決めたところで終わったので、確かにここでストーリーを締めれば綺麗ですね。つまりこれまでの流れが順当で好調だっただけに、第13話は蛇足と感じた人が少なからず存在していると言えます。また、ミュージカル部分がAqoursの変遷を追っていることから、第13話を総集編と捉える人がいることも付け加えておきます。

しかし、ここではそんな否の意見を少しでも払拭したいのです。まず、このシーン(挿入歌含む)に尺の3分の1も使っている時点で見せ場であること、非常に力を入れていること、話の肝であることが伺えます。そして本番前夜の千歌の言葉を思い出してください。彼女は「ラブライブ!がどうでもいいって訳じゃないけど、ここが素敵な場所だってきちんと伝えたい。そして『0』を『1』にしたい」と言っていました。第一の目標は入学希望者を増やすことなので、街の魅力をアピールするところから舞台が始まるのは当然と言えます。勿論、それとAqoursは切り離せない関係性なので、彼女たちの変遷は説明する必要があります。これには、自分たちが決めたことを自分たち以外の人たちに発信し共有するという意図があり、その証拠として千歌の母を始め、1年生組の母3人が登場しています。見知った人に自分たちの想いを伝えることは極めて重要であり、続編があるとすれば、その場で耳にしていたという事実から話が膨らむのではないか等と想像してしまいます。総括すると、舞台の場面は決して総集編ではなく、街のことや自分たちのことを知ってもらうために必要不可欠であること。第13話は決して蛇足ではなく、しっかりと考え尽くされた物語であること。このことを少しでも分かってもらえることを切に願います。

 

 

 

 

第2章 スペシャル対談with靄下

 この章ではスペシャル対談と称して、靄下氏(@Moyashiiiiiiii1)との対談を掲載します。しかし、語り合った時間が長すぎて全てを掲載することができませんでした(笑)。2時間以上ずっと話していました。語り合ってみて、1人では全く考えもしなかったことがポンとでてきたり、各シーンを共有することができたのが大きかったです。その甲斐あって、とても深く作品に入り込むことができ、濃い時間を過ごすことができました。因みに、この対談は第8話終了直後に行われたものなので、第9話以降の内容は推測の域に留まっています。それを踏まえて読んでいただきますと、また面白さが増すかと思います。

 

 

1.第8話までの振り返り

nao(以下n):まず第1~6話はセットだと思うんですよ。スクールアイドルを始めて自分たちのいいところに気付くってところまで。

靄下(以下靄):そうですね。

n:靄下さんは第6話までと第7・8話で印象は違いますか?

靄:そうですね。第一フェイズが終わったと言いますか、やっと第7話で物語が動き出したイメージです。

n:確かに。そして第8話でいわゆる『完敗からのスタート』を切る訳ですね。μ`sはこれが3話目だったのですが、Aqoursの場合は8話目。しかも得票数『0』なんですよね。

靄:(苦笑)。散々言われていましたが『Step!ZERO to ONE』に掛かっていると。

n:あからさまでしたよね(笑)でも反して曲調は明るい

靄:第8話の引きがとても爽やかだったじゃないですか。雲間から日が差すという情景描写で、前向きな姿勢やこれからの未来等を示しているんじゃないかなと。そこは曲調と合っているなと思いました。

n:なるほど。それにしても8話まで終わっているので、どうしても第7・8話に引っ張られてしまうんですよね(笑)一度その話は置いておくとしましょう。

靄:はい。

n:では第1話から見ていきますか。簡潔にまとめると、第1・2話で曜ちゃんと梨子ちゃん加入、第3話でファーストライブ成功ですね。実際に第3話を観てどう思いました?

靄:第3話はご都合主義なところはあったと思います。一応の理由付けとして、『沼津の人たちは暖かい』、『これまでのスクールアイドルの功績があった』から体育館を満員にすることができたと。要はダイヤ様が言った通りのことですね。ただ、純粋に良いスタートが切れた回だとは言えます。

n:第3話は『一応の』スタート、第8話は『本当の意味での』スタートでしょうね。そして、第4話でルビィちゃんと花丸ちゃんが加入する。

靄:そうですね。

n:僕は第4話が一番感慨深いです。靄下さんは第6話までならどの話が最も好きですか?

靄:う~ん(迷った末)第6話かな。というのも、今まで自分たちには何もない、普通の女子高生だと思っていたけど、持っている良さに気付いた瞬間でしたので。そこはストーリー上大きいところですし、例えば、自分には何もないと思っている人が第6話を観たら、『自分にも何かあるんじゃないか』と希望が湧いてきたりとか、ポジティブさを与えてくれるかもしれない。その点で重要な回だと思うので好きです。

n:そういうのって何気ないところで気付くんですよね。第6話では東京から転校してきた梨子ちゃんが海開きの様子を第三者の視点で見たことがヒントになった。自分たちだけでは分からないんですよね。まあ第8話もこれに当たるんですが。

靄:その通りですね。

n:先に第4話が感慨深いと言っておいて何なのですが、僕、第6話もかなり好きでして

靄:(笑)。

n:すみません(笑)。というのも、第1~5話はメンバーを集めていくのに必死だったのが、第6話でPVを作ろうってなった時に、改めて自分たちの、地元の魅力ってなんだろうと考えた訳です。そして第6話の中で答えが出たと。考えがメンバーという内部的なものから外部的なものに向かった感覚が好きです。

靄:何と言いますか、僕は第6話が独立した回だと思っています。

n:1~5、6、7・8ということでしょうか?

靄:そうですね。

n:なるほど。国語の授業で言うところの『段落分け』に似ていますね。1話毎を一段落とするならばそう分けられますね。

靄:第1~5話はただの女子高生、スクールアイドルとしての話。もっと言えば個別の人間の話ですね。第6話はグループとしての話、そして第7・8話は『ラブライブ!』という大会についての話と捉えられます。

n:うんうん。そう考えると物語はどんどん大きく、外へ広がっていますね。グループ→沼津→東京ひいては全国のスクールアイドルの話と。ということはこれ以上範囲が広がることはなく、スクールアイドルの世界を知った上で、第9話からは再び戻って3年生の話になっていく訳ですね。

靄:そうですね。で、視聴していて面白いと思ったのですが、やり方によってはもっと綺麗にまとめられるのにそうしていないんですよ。

n:綺麗にというのは?

靄:先ほど第1~5話は個別の人間の話と言いましたが、3年生の話もそこに組み込んでしまえばスマートだったと思うんですよ。それで9人揃ってから東京に行けば綺麗かなと。つまり『個人→グループ→大会』という今の流れの『個人』の中に3年生の話を組み込んで『大会』に臨み、無力さを実感してから、『グループ』の話で私たちの強みは何だろうと考える。『個人→大会→グループ』の流れでも作れたはずなんです。あくまで一つの考えですが。(図1・2参照)

n:確かに。でも制作サイドもそれは考えているはずですよね。

靄:でも敢えてそこをばらしているのが面白いんですよ。

n:なるほど。3年生の内情は大体明らかにはなったものの難航していますね。そして第9話からさらに掘り下げていくことになる見通しなのですが、マリーがあそこまでこだわる理由だけまだ明確ではないですね。何となくは伝わるんだけど確信は持てない。

靄:うん。

n:2年前の時点ではマリーは誘われる側・引き止められる側だったのが、現在は逆転している。マリーにとって、スクールアイドルとして活動していた3~4ヶ月は非常に重要だったのでしょう。そこは果たして明らかになるのかな。

靄:敢えてそこは明言しないで終わるなんてこともあり得ますね。

n:ですよね。

靄:これから3年生の話になる訳ですが、この構成にすることでよりキャラを掘り下げることができますね。

n:個人の話を先に終わらせようとすると、どうしても簡略化されてしまいますからね。

靄:μ’sの1期の話はまさしくこれでしたね。第8話までで全員加入、合宿回を挟んで、大会に向かって行くも出場を断念。一度ことりちゃんの留学騒動というグループの問題が間に入りましたが、概ねこの流れでした。

n:一方でAqoursの場合は、9人揃っていない状態で東京に行かせ、行けるんじゃないかと思わせておいての落とし。僕はよくやってくれたと思いましたけどね(笑)。

靄:期待してましたもんね(笑)。

n:ただ、予想に反して重いムードは1話で終わってしまった訳ですが。

靄:さらに掘り下げるのであれば、曜ちゃんですかね。

n:第8話でちょっと不安に感じましたね。千歌ちゃんの気持ちを汲んではいるんだけど、直接の助けにはなれなかった。これが今後の行動にどう作用していくかは注目ですね。第8話が爽やかに終わっただけに、少し気がかりです。

靄:曜ちゃんとしては複雑なんじゃないかな。

 

 

2.3年生の加入について

靄:μ’sの話は『ザ・サクセスストーリー』ですよね。

n:本当にその通りですね。

靄:俺、Aqoursラブライブ!優勝しないんじゃないかと思いました(笑)。

n:同意見です(笑)東京のイベントに出た後、千歌ちゃんが『このイベントに出れてよかった』と言っていたのは、強がりではあるにしても本心だったと思います。それが9人で本戦に臨んで、強がりではなくて心の底から『出れて良かった。楽しかった』と思えるのであれば、1位でなくてもいい。現時点でAqoursの目標はラブライブ!優勝ではないので。

靄:もし優勝したいという気持ちがあったのならば、それはおそらく『悔しい』という感情でしょうね。対してμ,sにはこれがなかった。A-RISEも敗戦時は清々しかったですよね。

n:確かに。

靄:でも陰で滅茶苦茶悔しがってたんじゃないかとか考えたり。

n:まあ思ってたはずですよね。でもその悔しさを表に出さない点はやはり強い。一方でSaint Snowは聖良ちゃんこそ平然としていたものの、理亞ちゃんは激情的になって『馬鹿にしないで!』と言い放ったわけですが、高校生であることを考えれば彼女の態度は至って自然だと思います。一番人間臭い、リアルだなーと思いながら見てました。

靄:そのくらい本気でやってたってことですもんね。

n:で、μ`sの話に戻すと、彼女たちにはこの葛藤が見られなかった。落ちたとすれば、1期終盤の本戦辞退と留学騒動ぐらいでした。

靄:あの時穂乃果はどうして泣いていたんでしょうね?責任感からなんでしょうか?。

n:それももちろんあるでしょうし、出場できないことへの悔しさもあるでしょうね。責任感の部分は千歌ちゃんにも同じものを感じました。

靄:μ`sは全力を『出せなかった』のに対してAqoursは全力を『出した』。ここにも違いが見て取れます。3年生組は『出せなかった』ですね。果南は責任感を感じているのでしょう。

n:その責任感からでしょうか、果南は毎朝走っているんですよ。もしかしたら一番諦めきれていないんじゃないかって思います。エリチカみたいな。

靄:あーなるほど。どっちも素直じゃねーもんなー(笑)。

n:(笑)。それで加入についてなんですが、果南がスクールアイドルやるって言ったらマリーも入るって言う気がしてきて。3年生一気に入る説が濃厚になってきましたね。

靄:俺は最初からその意見でした(笑)。果南とダイヤが入部してマリーが入部しないだと、今までと何も変わらない訳ですから。3人でやっていたのがマリーにとっての宝物なので。

n:まあここまでは既定路線ですけど、問題は3人がいつ加入するのかです。

靄:下手したら来週(9話)で入るんじゃないかな。『未熟DREAMER』って曲名ですよね?

n:前回までの話を受ければ、当然そうでしょうね。

靄:であるならば、この曲は9人で歌わないと意味がないと思うんですよ。6人が3年生の体験を追体験したところで、ようやく3年生組と並んだ→3年生加入→9人でライブと。。

n:流れとしては自然ですよね。やはり追体験したことは意義深いもので、そういう意味で7、8話は極めて重要な回でしたね。

靄:仮に9話で3年生組が加入するとして、果南が難敵ですよね(笑)どうして彼女はあそこまで意固地なんでしょう。少しキャラ考察してみましょうか。

n:キャラ考察も面白いですね。というか語るには必須ですな。

靄:(ノートに書き始めて)果南、ダイヤ様、マリー。

n:やっぱりダイヤ『様』なんですね(笑)。

靄:ですね(笑)。

n:まず共通しているのは2年前にライブを失敗させたことですね。で、一番ダメージを受けたのが果南。それに対する責任感から、同じ想いをしてほしくないという気持ちになる。この部分への執着が非常に強い。

靄:第8話でもこのような言葉を残して去ってしまった訳ですね。

n:それをどうポジティブに持っていくのか。

靄:そこら辺は6人の、特に千歌ちゃんの手腕次第でしょうね。そしてマリーの果南への気持ちですが、マリーはダイヤ様と果南と3人でいた時を取り戻したいっていうことを言っているわけですよね。2年前の結果は別として。ある種のエゴが一番前面に出ているキャラなのかなと。

n:其々の想いがすごいぶつかってますよね。そしてこの2人を繋ぐのがダイヤ様ですね。

靄:1、2年生と3年生とを繋ぐのもダイヤ様ですよね。3年生組の中でも最も冷静ですし、過去の話も全部話してくれました。妹がいることも大きいとは思いますが。おそらく一番スクールアイドルが好きなのはダイヤ様でしょうから、また3人でやりたいとは思っているでしょう。

n:マリーの話に戻すと、3人でいたいという気持ちと、6人に現実を突き付けて乗り越えてもらいたいという気持ちが両方ある気がするんですよ。冷酷な言い方ですけど、千歌たちを利用して3人でいた時間を取り戻そうとしているんじゃないでしょうか。エゴですけど、こういうキャラはとても好きです。

靄:それぞれが自分なりの正義を持っているんですよね。しかし、マリーをここまでさせる原動力って一体何でしょうか。その理由がまだ明らかになっていないですよね。何となく昔の時間が大事だったんだな位は明らかになってますが。

n:そうですね。あるとすれば幼少期の出来事なんですかね?

靄:そこが明らかにならないことには何とも言えないです(笑)。

 

 

3.今後の展開はどうなっていくの?

n:果たして本当に9話で全員加入するんでしょうか?

靄:前言撤回、たぶん無理だと思います(笑)早くて10話かな~。

n:下手すると11話まで長引くかも(笑)。

靄:それはちょっと長いかな。10話だと思います。で、11話からまたグループの話に戻って、大会の話をやっておしまいですかね。

n:グループの話で締めて、大会の話は2期から本格的に入っていくかもしれませんね。

靄:その可能性も十分にあり得ますね。

n:靄下さんとしては、9話はどういう話になると思いますか?

靄:順当にかなまりの過去を掘り下げるでしょう。これがメインになると思います。

n:同意見です。10話で3年生が加入しないとするならば、9話をどのように引くかが重要になると思います。9話では、6人が果南に接触すると思うんですよ。かなまりの絡みは勿論ですが果南回だと思うし、そこにようちかとの過去も乗っかってきてと。

靄:10話の最後に加入すると仮定しても、9話の「未熟DREAMER」ってタイトルがやたら前向きで、引きが想像できません。

n:「夢見る者たち」ですもんね。10話で加入しないなら6人曲なのかな?8話までを鑑みれば自分たちがまだまだ未熟だということが分かった訳ですから。それを見た3年生が何か思うところがあるとするなら、その路線でも十分あり得るんじゃないかな。

靄:そこらへん(9人曲だろうという風潮)をぶち壊してくれるのなら熱いですね(笑)。

n:まあそれで9話は引くのかな。

靄:なるほど。

n:それと、かなまりに対してダイヤ様がどう出るのかというのも気になるところです。今のところ3年生組が一緒にいたところってないんですよね。

靄:そういえばそうですね。

n:ちょっとそこを9話で見せてくれるんじゃないかなとも思いました。

靄:3人が集まったところで引きかもしれませんね。それで次回3年生どうなるんや、みたいな。

n:もしそうなるなら10話加入で決定ですね。そんな引っ張らないでしょうし。

靄:なので9話はAパートで6人の話、Bパートで3人の話をして終わりかな。

n:じゃあAqoursは3年生とは接触しない訳ですね。同時進行で話が進むと。

靄:可能性はありますね。若しくは6人が歌っているところをマリーが果南に見せる、なんて場面があるのかもしれません。

n:練習から見せるなんてことになったらエリチカみたいですね(笑)。

靄:(笑)まあ本番だけかな。

n:それで思うところがあるとするなら、確かにそれは熱い!やっぱりラブライブ!は熱くなくちゃ。スポコンですから(笑)。

靄:そうですね(笑)。

n:僕も部活の経験がありますから、観ていて自分と重ねてしまいますね。試合に負けた時滅茶苦茶悔しかったですもん。だからとても楽しく視聴できてます。考察してるからということもありますが。ということで話を戻すと、9話は以上のように6人/3人の同時進行で進むと思います。

靄:今までもそうでしたからね。6人と3人、まあ途中はダイヤ様が加わって7人と2人という構成でしたが。

n:因みにμ’sの頃はどうでしたっけ?

靄:どうだったっけかな。

n:8話で全員加入→ぼらららだったから9話で合宿かな?でも何か忘れてる気が・・・(調べて)あー「ワンダーゾーン」があったわ(笑)。

靄:全然出てこなかった(笑)。

n:「ワンダーゾーン」はことりを掘り下げた話ではあったけど、閑話休題という扱いですね。

靄:そうですね。「個人」の部分に組み込まれますね。

n:そう考えると、μ`sのグループや大会の話に占める割合って少なかったですよね。

靄:そもそも大会についての話がフォーカスされてくるのは2期になってからですね。

n:Aqoursについて考えてみると、5話までは個人の掘り下げですね、「ヨハネ堕天」(笑)。

靄:1期5話(「にこ襲来」)をなぞってますよね(笑)。

n:第6話は、1期が「センターは誰だ?」でこれサム(これからのSomeday)、サンシャイン!!では「PVをつくろう」で夢夜空(夢で夜空を照らしたい)。流れは同じですね。そして第7話は1期が「エリーチカ」で絵里の掘り下げ、第8話で「やりたいことは」でのぞえり加入と。

靄:「やりたいことは」とサンシャイン!!第8話の「くやしくないの?」は問いかけで被せてるところはあるかもしれませんね。9話も「ワンダーゾーン」と「未熟DREAMER」で、「未熟DREAMER」が曲名であるならば被ります。素直になれない部分は絵里と千歌で重なりますね。

n:で、第10話でどうなるかですね。このまま1期をなぞっていくのかな。

靄:どうだろう。

n:曜が心配なんですよね。千歌は「やめる?」って彼女に問いかけられても返さなかったのに、梨子には本音を打ち明けている訳ですから。「幼馴染なのに何もできなかった」って思ってるんじゃないかなあ。このことが尾を引きずらないといいのですが。

靄:俺もそれ心配で、曜が後半で何かやらかすんじゃないかって思っちゃいます(笑)。ことほのみたいな。

n:(笑)。

靄:ヤンデレ堕ちしそう(笑)。

n:でもそういう話があるとしたら、もう全員加入した後でしょうね。

靄:若しくは全員揃いそうっていうタイミングで一悶着あるかも。

n:うわ、それもあり得ますね。

靄:全員まとまるとそれで収まっちゃう気がしますから。

n:7、8話がAqoursにとって最大の壁だったと思います。そしてこれを乗り越えて、次は3年生の話へ続いていくと。これを解決したのであれば、曜の話は後半やるかなという意見もある一方、続編に持越しということも十分に考えられます。一視聴者の意見を出すならば、3年生のごたごたでおなか一杯感は多少なりとも感じていて。腹八分でいいかなみたいな。

靄:「まだ9人にならないのか!」と思ってる人もいるでしょうからね。

n:なので敢えて引っ張ることもあり得るかなと。もういっそのこと2期の後半まで引っ張るかな(笑)

靄:どうでしょうね(笑)

n:まあ続編発表を気長に待ちましょう。

 

 

 

 

 

第3章 「ラブライブ!サンシャイン!!」が伝えたかったこと

 

 最後に、全体を通して「ラブライブ!サンシャイン!!」が我々に伝えたかったこととは一体何なのか、について考察していきましょう。まず物語のテーマは、「普通の女の子たちが『輝く』ために、仲間と手を取り合いながら全力で進んでいく」で、この「輝く」という語が物語の軸になります。つまり、ストーリーを1話毎に「輝く」という語を使って端的に表現することができます。

 第1話は、千歌が東京で見たμ`sの映像に衝撃を受け、自分も彼女たちのようにキラキラと「輝きたい!」という場面が肝でしょう。なので、第1話は「『輝きたい!』と願った話」と要約できます。第2話は、思い悩む梨子に「一緒にスクールアイドル、やってみない?」と手を差し伸べ、気持ちが繋がるところから、「『輝きたい』気持ちを挫いた少女がもう一度『輝きたい!』と再起する話」と言い表せます。第3話は、Aqoursのファーストライブを終えて、「見ているだけでは始まらない」から「輝きたい!」と3人が口を揃えます。「『輝きたい!』と誓った話」と形容できるでしょう。

 第4・5話はルビィ・花丸・善子の気持ちを深く丁寧に掘り下げ、彼女たちもまた「輝きたい!」と燻っていたのでした。作中で「輝き」は一つの大きな光と表現されていることから、彼女たちは「『輝き』のかけら」と言えます。つまり第4・5話は「『輝き』のかけらを集める話」という表現が妥当でしょう。

第6話は、何もないと思っていた、ここでは無理だと思っていた街に魅力があることを認識し、これからの自分たちに希望を見出す話です。それ即ち、自分たちが「輝く」ことに直結することであり、「『輝き』を予感し、そこに向かって一歩を踏み出す話」と言えます。

第7・8話は東京のイベントに出場するも、結果は最下位で得票数は0。前半は東京の空気に酔っていたが、後半は打ちのめされ、どんよりとした空気に。そこで「『0』を『1』にしたい」という明確な目標が生まれる。「再び『輝こう!』と決意し、それに向かって走り出すことに決めた話」と言えるでしょう。

第9話は3年生がお互いの気持ちをぶつけあい、分かり合う話です。彼女たちもまた「輝きたい!」と思い、行動してきました。そんな彼女たちが再び「『輝き』のかけら」として仲間に加わることで、Aqoursは初めて1つの大きな「輝き」として大成するのです。つまり「かけらが集まり、『輝きだす』準備が整った話」ということです。

第10話は、梨子がピアノコンクールに出場するかどうかを決めあぐね、千歌に背中を押されるという内容です。梨子にとってスクールアイドルと同じくらい大切なものであるピアノを選択させるということは、それもまた己の「輝き」に気付かせるということです。言うなれば「『輝き』を後押しした話」と言えましょう。第11話は曜が、「千歌は自分と一緒じゃ嫌なのかな」と自分を責めてしまう、という彼女の苦悩を描いています。梨子への嫉妬も覚えてしまったが、鞠莉の後押しと梨子からの電話と、そしてなにより千歌から「一からやり直そう!」と言ってもらえたことで、彼女は救われました。「曜がわだかまりを捨て、精一杯『輝く』準備が整った話」と言えるかと思います。

第12話はμ`sとAqoursでは何が違うのかを探るのに苦闘します。音ノ木坂を訪れたことから答えを導き出した千歌は、メンバーとそれを共有することで初めて「輝く」ことの本質を理解します。つまり「『輝き』に気付いた話」ということです。第13話は街のことをより広く知ってもらおうとすると同時に、今までの集大成をステージで形にしました。「輝き」は心から溢れ出すことを、彼女たちは伝えることができました。「全力で『輝き』、またその『輝き』を与える存在へと昇華させた話」へ帰結する訳です。

「輝く」ことは「自分の『好き』を何事にも囚われることなく精一杯楽しむ」ことであり、その答えにたどり着くまでに、普通の女の子たちが葛藤する姿を描いたのが「ラブライブ!サンシャイン!!」です。それと同時に「輝く」ことの素晴らしさを我々視聴者にも教えてくれました。今現在、彼女たちと同じような境遇に身を置く子には共感を、何も好きなものが見つからない子には気付きを、当時の青春の輝きを思い返す大人には気持ちの高ぶりを、大人になっても夢中になるものが見つからない大人には衝撃を、そして今なお「輝き」を追い続ける人には追い風を与えた、そんな作品ではないでしょうか。そして、「ラブライブ!サンシャイン!!」が伝えたかったのは、この「輝き」が誰の内にもあるということ、それをいつか手にしてほしいということではないでしょうか。まるで、アニメ全13話が我々への応援歌のような、「交響曲ラブライブ!サンシャイン!!」とでも言いましょうか、目に耳に直接語りかけてくる、非常に刺激的な作品だと感じます。

 

あとがき

本書を発行したことについて補足を。まえがきで、靄下氏と話をしたことで、本として出してみようかなと思った、と記述しました。しかし、それでも「本当にできるのか」という不安が残っていました。そんな時、第4話の放送で千歌が言ったんです。「できるかどうかじゃない、やりたいかどうかだよ!」と。私に直接語りかけてきたような、そんな感覚でした。まさしくその通りだと感心しましたし、背中を押されました。それだけではありません。ひたむきに我武者羅に努力し、全力で輝くAqoursを見ていると、自分も頑張ろうと本気で思えてくるのです。そしてはっきりと申し上げておかなければならないことは、私は「ラブライブ!サンシャイン!!」が大好きだということです。だからこそ、この本が刊行できました。

「頑張れば、諦めなければ夢は叶う」というありふれた、それでいてどこか説得力の無い言葉に、彼女たちは全13話を通して色を与え、水を与え、光を与えました。似たことをテーマにしたアニメは数あれど、ここまで説得性に満ちたアニメを私は知りません。それは成功だけではなく失敗も隠さず見せたこと、最後までテーマが一貫していたこと、巨大コンテンツの第2弾作品であるにも関わらず、安定した路線を行かず、批判を覚悟しながらもチャレンジ精神でスタッフ一丸となって取り組んでいたこと、キャラ1人1人の見せ方に愛を感じたこと等々が理由として挙げられます。

私事ですが、本書が発行される前に沼津を訪れました。澄んだ空気や広大な駿河湾・底が見えるほど綺麗な海など、ついつい見とれては写真を取らずにいられない位素晴らしい景観でした。それらを背に、第9話で果南が実際に走ったルートを早朝から走ってみたり、舞台となった長井崎中学校まで登ってみたり、Aqoursの9人を肌で感じながら「彼女たちはこの素晴らしい景色と共に毎日をこうして暮らしているんだな」と思うと、感情の昂ぶりを抑えられずにはいられませんでした。一方で、「我々から見た美しい情景も、長い間住んでいると慣れてしまい、色褪せて見えてしまうのではないか」とも感じました。まさしく自分がそうでしたから。しかし、離れてみるとその良さが分かるというモノ。今は田舎に帰りたい気持ちが強いです。また地元の人が非常に温かく接して下さり、何よりどこに行っても作品に理解を示して下さっていたことが本当に、本当に嬉しかったです。以前にも1度赴いたのですが、その時よりも後者のことはより一層心に残りました。

さて、「サンシャイン!!を語り尽くせ!!」と題してお送りしてきた本書ですが、皆様いかがでしたでしょうか。個人的には、細かい点を除いて、感じたことをあらかた書き綴れたかなと実感しております。ここまで書くことができたのは、アニメは勿論、靄下氏を始めとする同志の存在のおかげであります。感謝の念に堪えません。拙い文章ではありましたが、本書がきっかけで作品をもっと好きになっていただけたのであれば、これ以上に嬉しいことはありません。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました!感想等お待ちしてます!